ひとりのプログラミング講師が作成した記事を集めました

学習理論の変遷 その2

(前回の投稿からの続き)
アメとムチ「だけ」の教育は、学習者が主体的な情報処理を行なったうえで行動するように意図されてはいません。
「認知主義」の考え方は、教育する側が学習者に情報やデータを伝え(教え)、学習者がそれを理解し長期的に記憶すれば、人間は知識に基づいて判断するので、物事に対する認識は変わるはずだという考え方です。
いわゆる「座学」で、教育する者が学習者に講義をして知識を伝達するスタイルの教育は、これに当てはまるでしょう。
僕が子供の頃の学校教育はこの理論を基にしていたような気がします。
この理論の場合、教えようとする内容(つまりテキストとかコンテンツ)の質と量が重要になってくるはずです。もちろん教える側の教え方のスキルや説明の分りやすさも大事ですが。
しかし、この種の教育「だけ」を極端に押し進めると、「詰め込み教育」になってしまいます。
「詰め込み教育」の問題は、人間が一日に咀嚼して理解できる情報の量には限界があり、大量の情報をいっぺんに詰め込まれると消化不良を起こして、眠くなったり、疎外感を味わったり、次の段階へ進むことができなくなってしまうことです。いわゆる「落ちこぼれ」が出やすくなります。
また、主体的に考える力や創造力を育むことに貢献しないという批判もあります。本当にそうなのかはわかりません。
創造力の基盤として基礎的な知識や学力は必須のはずですから、「詰め込み」にならない程度の知識の伝授は必要でしょう。
何事も「過ぎたるは及ばざるがごとし」で、やり過ぎれば弊害が出ても不思議ではありません。
ともあれ、日本でも「詰め込み教育」の弊害が言われるようになり、その反動で逆方向の「ゆとり教育」というのが出てきました。
「認知主義」とは異なる「構成主義」の考え方も現れました。
(次回へ続く)
©2016 all rights reserved