最近話題になっているAI Webアプリの「ChatGPT」に「講師にとって大切なスキルとは何でしょうか?」という質問を投げかけたら、以下のような回答が返ってきました。まあ、世間一般が期待する理想の講師像を反映しているように見えます。 「講師にとって大切なスキルは以下の通りです: コミュニケーション能力 教育方法の知識 目標設定と達成のスキル 学習者のニーズに応える能力 テクノロジーの使用経験 評価・フィードバックのスキル 創造力とフレキシブル性 自己管理とタイムマネジメントのスキル 学習者との信頼関係を築く能力 学術的な知識と研究スキル」 ©2023 布施あづさ
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過去12年間の講師業の経験によって得た自分の講師スキルを総括すると、現時点では以下の4つの原理原則にまとめられるように感じています。 1.段階に沿って指導する これについては、当サイトの記事の「受講者が壁にぶち当たった?」、「受講者が壁にぶち当たった?(その2)」を参照してください。 2.言葉の定義を明確にする これについては、当サイトの記事の「トンチンカンな質問」を参照してください。 3.イラストなどの視覚表現を利用する 言葉による説明だけでは、コンセプトが十分に伝わらないことがあります。その場合には、イラスト、図、表、プログラムリストなどを利用することがあります。たとえば、当サイトの記事の「受講者が壁にぶち当たった?」と「受講者が壁にぶち当たった?(その2)」ではいたって簡潔なイラストを使っていますが、もしそれらのイラストがなくて言葉による説明だけだったら、そのコンセプトが直感的に正確に伝わったでしょうか? 4.情報のインプットとアウトプットを交互に繰り返して両者のバランスを取る これについては、当サイトの記事の「INPUT/OUTPUTの原則」を参照してください。 研修現場では上記の4つの原理原則に基づいて指導するのですが、具体的な対処法や行動はその時の会場の状況によって千差万別です。受講者の顔ぶれ、人数、知識と経験のレベル、性格、価値観、講座の内容とそれによって起こるトラブルなど、あらかじめ研修前にすべてを想定して対策を考えておくことはできません。常に変わらない固定した方針やパターンもありますが、その時の状況に合わせて上記の原則を適切に応用して臨機応変に対処するしかないことの方が多いです。その応用の仕方も含めて私の講師スキルなのでしょう。それは誰から教わったわけでもなく、経験の積み重ねでしかありません。 しかし、講師の仕事の本質は、ハンバーガーショップでハンバーガーを作るのとは異なります。講師が人間を相手にしている限り、知識や講師スキルだけでは伝えることのできない部分があることも意識しています。 ©2022 all rights reserved
受講者が「壁にぶち当たった」と思ってしまうパターンとして、階段の各段の順番がデコボコになっていてなだらかではないパターンもあり得ます。 この場合には、壁のように見えている「高過ぎる一段」を分割するのではなく、単純に順番を入れ替えるだけで済むでしょう。 ©2022 all rights reserved
ある受講者の学習がうまく進まずに、本人が「壁にぶち当たった」と思ってしまい、気分が落ち込むようなことがあります。しかし、本当に「壁にぶち当たった」のでしょうか。 私はそのような時、その人が「壁にぶち当たった」とは思わないようにしています。では、どのようにその状況を見るのでしょうか。 その人が直面しているのは「壁」ではなく、階段を昇っている途中でひとつの「高過ぎる一段」にぶつかっただけと判断します。その人は生まれてから今まで、無数の「学びの階段」を昇りながら前進してきたのです。それまでの階段は何とか昇ることができたものの、今はその人にとって「高過ぎる一段」に直面しています。そこまで辿り着いたということは、ある程度の学習能力はあるということです。 そのような観点からその状況を見れば、解決策のひとつは明らかでしょう。「高過ぎる一段」をいくつかに分割してそれぞれを十分に低くなだらかな階段にしてあげればいいだけです。受講者本人もそのような観点で自分の状況を見ることができれば、希望の光が見えてくるかもしれませんね。 ©2022 all rights reserved
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以下は、Facebookに2016年2月24日付で投稿した文章の全文です。 講師業を専業とするようになってまるまる5年を過ぎて6年目に入った。 この間、講師以外の仕事は何もしていない。 プログラミング教育の方法論を自分なりに考えるようになり、 まとまった形の文章にしようと思いながらも、 とりあえずすぐにできることとして、 今までの経験で感じたことや学んださまざまなことを「備忘録」として単純な箇条書き形式で書き始めた。 文字通り、自分自身のための備忘録である。他の人に読ませるようなものではない。 何十もの項目が挙がる中で、それらを読み返して新たに気づいたこともある。 以前の投稿では講師として「覚悟を決める」ことの大切さを書いたが、 その覚悟とは単に講師として受講者のためにその時間とエネルギーのすべてを捧げることだけではないことに気づいたのだった。 講師という仕事は基本的に、その仕事のやり方は自分で創意工夫して自分で決めて、自分で実行し、 その結果には自分自身が責任を負う覚悟が必要である。 10人の講師がいれば十人十色で、さまざまなやり方があっていい。 と言うよりも、そうであるべきだ。 僕自身、他の優れた講師から学ぶこともいろいろあるが、 それらをどのように咀嚼して自分の仕事に生かすかはすべて自分自身の責任と思っている。 単純に表面的にマネすれば良いというものではない。 ましてやマネした結果について自分自身の責任を見ようとしないのはトンデモナイことである。 「結果はすべて自分の責任だ」と覚悟を決めることなしに、本当の創意工夫も学びも向上も進歩も決断もないだろう。 この5年間、フリーの講師として、一度でもしくじればその顧客から二度と仕事の依頼は来なくなるという緊張感がつきまとっていた。 実際に、そのようにして消えていった講師を何人も見てきた。生き残った講師のほうが少数派なのだ。 過酷な環境だとは思うが、それでも何とか生き残った自分にあったのは才能などではなく、「覚悟」だけだったような気がする。 ©2016 all rights reserved
以下は、Facebookに2016年2月1日付で投稿した文章の全文です。 講師をやっているといろんな人から感想を言われるが、過去に何回かあったのは、講師をやっている時と普段の布施さんは印象が違うといったたぐいのことである。 「講師をやっている時は声の高さが1オクターブぐらい高くなってる」と言われたこともある。 どうやら講師をやっている時の僕は本当の姿ではなくて、無理して仮面をかぶっていると思われるらしい。 確かに僕の場合は、受講者の前で仕事を始める時には講師モードのスイッチを入れて、心のありかたを切り替える。 しかしそれは、講師の目的を思い出して、その時間はすべて受講者のために捧げる覚悟を決めるためであって、自分以外の誰かになるためではない。それ以外の時間は自分のため、家族のためなど他の目的のために使うから講師モードのスイッチを外す必要があるだけだ。 人間は1日に24時間、1年間に365日を受講者のために捧げることはできない。 受講者の前で仕事をする時には全力でその仕事に立ち向かうだけで、それがニセモノの自分だとは思わない。 やりたいことをやるし、やりたくないことはやらない。無理をしているわけでもない。 普段の自分と同じだが、目的が違うだけなのさ。 そして、どちらもホンモノの自分なのである。 講師が仮面をかぶるだけで受講者がスキルを身につけるはずがないし、結果が出るはずもない。 講師の仕事とはそんなに甘いものではないのであります。 [追記:ついでに言っておくと、講師モードに心を切り替えることはその気になれば誰にでもできるはずです。才能とか能力とかノウハウなど不要ですから。 一度、そのような心の態勢ができたら、目つきも雰囲気も変わってくると思います。] ©2016 布施あづさ
以下は、2021年3月22日付でSlack版に投稿された記事の全文です。 講師として現場で仕事をしている際に、受講者がトンチンカンな質問をしてくることがあります。講義やテキストの内容を正しく理解していないことは明らかなのですが、なぜそのような質問になるのかがこちらにはわかりません。 そんな時に私が可能性として真っ先に疑うのは、その受講者が講義やテキストに現れた単語の意味を誤解しているのではないか、ということです。 その文脈の中に含まれている技術用語を正しく理解しているのかを最初に疑いますが、それだけでは解決しないことがあります。 次に疑うのは、技術用語ではない一般的な単語への誤解です。 単語の定義はひとつだけとは限らず、文脈によっては異なる意味を持つことがありますから、普通の日本語の単語でも自分の知らない定義があることに気づかずに、知っている定義だけでその文脈を解釈するとワケのわからないトンチンカンな解釈になりえます。 明らかに技術用語とわかる単語や全く意味を知らない新しい単語の場合には本人もその意味を調べようと辞書を引いたりしますが、日頃からよく使っている単語の場合には、意味を知っているつもりでもその文脈では異なる定義で使われていることに気づきません。 たったひとつの単語でも文脈に沿った正しい定義で解釈しないと、話の流れとは異なるトンチンカンな理解になってしまいます。 それがトンチンカンな質問を生む原因になることに気づいた経験があります。 自分自身が何かを学習する際にもこまめに辞書などを引いて、たとえありふれた単語でも自分が知らない定義がないかを確認するようにしています。 ©2021 all rights reserved
以下は、2021年3月3日付でSlack版に投稿した記事の全文です。 講師の大切な心がけと思っていることを簡潔に覚えやすいようにまとめようと思って、随分以前のことですが、講師向けに「3つのイ」という言葉を考えました。 その心は、「熱意、誠意、用意」です。 ひとつひとつを説明する必要もないでしょうから省きますが、「権威」、「優位」、「叛意」などが含まれていないことにご留意ください。 ノウハウやスキルの取得よりも遥かに大事だと思っています。 ©2021 all rights reserved
(前回の投稿からの続き) 過去から今までの教育理論をざっと概観してきました。 できる限り客観的に検証可能な情報をわかりやすく提供したつもりですが、ところどころ私見も挟んでしまいました。その部分については無視してもらってもかまいません。 ここから先は100%の私見です。 医学の世界では、人間のあらゆる病気に完全に対応した治療法が確立されているわけではありません。人間の体は複雑ですから。 同様に、教育学の世界でもあらゆる問題に対応する万能の教育理論や教育法がすでに確立されているとは、少なくとも研究者は誰も考えていないはずです。人間の能力や心は複雑ですから。 僕としては、今までのどの教育理論も一方的に批判する意図はまったくなくて、逆にそれらのいずれもが特定の状況のもとではきちんと効果を表してきたということを強調したいと思ってます。 僕は現場で働く講師なので、医学の世界で言えば「研究医」ではなく「臨床医」に該当します。「目の前にいる患者の健康」に何よりも関心があります。 先人が効果があることを示してくれたさまざまな教育手法の中からその時の状況にあった、受講者のためになるベターな手段を使って仕事をしたいと思ってます。 (終わり) ©2016 all rights reserved